ハロージーガム
10月20日 声優 肝付兼太さんがお亡くなりになりました。
多くのメディアで、「スネ夫」役の肝付さん・・・と紹介されていたように
ドラえもん「骨川スネ夫」役は、1979年の放送開始以来
26年間にわたって担当されてきたわけですから当然ですし、
ドカベン 「殿馬」
おそ松くん 「イヤミ」
忍者ハットリくん 「ケムマキ」
・・・等々、実にたくさんの作品の声優として
ご活躍されていました。
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そんな肝付兼太さんが亡くなられた・・・との報を知って
私の脳裏に一番初めに浮かんだ「肝付兼太」さんは、スネ夫ではなく
「ハロージーガム」というラジオ番組のメインパーソナリティとしての
彼でした。
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「ハロージーガム」40年以上も前の1974年~1976年 日本短波放送で
放送されていた番組で、当時の中学・高校生年代の子供たちを中心に
ブームとなっていたBCLという海外放送を聴く趣味の
いろいろな情報を提供する番組だったのです。
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当時、中学生だった私もSONYスカイセンサー「ICF-5800」を
親に買ってもらい、夜な夜なラジオに向かい海外放送を聴いて
受信報告書を放送局に送りべリカードといわれる受信証明書を
集めることを学校のクラスメイトと競っていました。
月~金曜日の18:15から15分間放送していた「ハロージーガム」も
当然の如く、その情報源として毎日欠かさず聴いていました。
肝付兼太さんの訃報を知って、私のように「スネ夫」をよりも
「ハロージーガム」を思い浮かべた50歳代の方々も多かったのでは
ないでしょうか。
今回、「ハロージーガム」をネットで検索するのにあたり、その関連する当時の
BCL番組名が次々にヒットしてきて、自身の青春時代がよみがえってきました。
TBSラジオ 「BCLジョッキー」
日本短波放送「ハロージーガム」「BCLワールドタムタム」
「子門と照子のQSOジョッキー」
BCL少年からアマチュア無線へと進んだ当時の私を思い出させてくれた
肝付兼太さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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